大舩神社について/What's Oobune Shrine

<大舩神社について>

御祭神

主神:大山祇命鹿屋野比賣命

相殿:事代主命 大国主命 宇迦之御魂命 誉田別名 日本武尊 菅原道眞命

   素戔鳴命 大物主命 菊理比賣命 豊宇氣毘賣命 伊弉諾命 伊弉冉命 市杵島賣命



<大舩神社の由来>

 

 大舩神社の歴史の前に、大舩神社と切っても切り離せない、八百津町の歴史について簡単に紹介いたします。

 昔、神社仏閣や家屋は木造が主流でした。立派な建物を造るためには、まっすぐで丈夫な太い柱が必要です。木曽の山には、樹齢を重ねた、建築用途に優れた木々がたくさん生えていました。しかし、現代のように、トラックもなく、鉄道もありません。岐阜県の山奥からの輸送は、木曽川を使った、船運による川下りにて行われました。木曽の山々で切り出された丸太は、一度八百津の錦織湊(みなと)という川の港にて集められ、筏(いかだ)に組まれたのち、木曽川を下り、大坂城、名古屋城や京都の神社仏閣に使われました。

 八百津町錦織湊の歴史は非常に古く、690年、伊勢神宮第1回遷宮にさかのぼります。当時、伊勢神宮は木曽の山より切り出した材木により、遷宮を行われたそうです。このとき、現在の八百津町がある地域を、錦織中納言久通卿が開拓したため、錦織、という地名が生まれたそうです。のちに錦織湊は、木曽材の需要とともに有名になっていきました。錦織湊からは木材を組んだ筏だけでなく、養蚕でとれた絹や、茶葉などが船に乗り木曽川を下り、川下からは帆を張った船が、風を受けて木曽川をさかのぼり、川下でとれる塩や米などを運び込みました。多くの人が行き交う八百津町は、名実ともに日本一の川湊として栄えました。

 

 さて、そんな八百津の産土神である大舩神社の由来について、紹介していきます。

同元年(806年)頃、八百津(旧美濃加茂郡細目村)北の高山に、大山神社という名前で祭られていたという記録が最も古いものとなります。大舩神社と呼ばれるようになったのは、その後の伝承が由来となっております。

 天慶年中頃(832年)、旧権現山の中腹に、檜の大樹がありました。ある日、細目村(八百津)にある、黒瀬という地域にて船を造るために、杣人(木こり)2人をはじめ、多くの人が山へ登りました。その樹を切ろうとしたその時、空から白い鳥が現れ、南へと伸びた1本の枝にとまりました。鳥は2声、3声さえずった後飛び立ち、山の中へ消えていきました。

 人々は樹を切り倒し、山から引き下ろそうとしますが、その樹の重いこと重いこと。大人90人の力でもびくともしません。人々は不思議に思い、山頂に向けて引っ張ってみると、なんとも軽く、まるで麻を引っ張るようにするすると登っていきます。そこで、もう一度谷に向けて引っ張ってみますが、やはり、全く動きません。気が付くと、樹は山頂に到着していました。

 人々の中にいた、ある役人が言いました。「この樹は、ここに置いていこう。この樹の中には、間違いなく神様がいらっしゃる。先ほど、この樹を切り倒す時に来たあの鳥も、この樹に寄り添う尋常ならざる鳥である。この樹を引き下ろすのは、中止にしよう」と。

 船になるはずだった樹は、そのまま山の頂に残り、いつしか、その神の御名を『大船権現』と言い伝えられるようになりました。そして、社が建てられ、当時の山頂からの美しい景観の様子はこう記されております。「御山の景色は、他の山を越えて高く、潤水の音遥かなり、霊樹深々として、常に風の音こうこうたり。遠国の海橋近辺の村里をば、尚掌を見るが如し、風景類なき御山なり」それからというもの、遠近から多くの人々が参拝することとなりました。

 しかし、幾星霜を経て、山の頂ということもあったのでしょう、次第に人々の足は遠のいていきました。

 応永(1394~1428年)の頃、治部卿という剛力で、徳に優れ、高名な行者がいました。この治部卿が山に登り、御祈念を行い、大舩大権現を現在の大舩神社のある場所へと移し、幾度かの改修を経て、現在の大舩神社となります。

 余談ですが、現在の大舩神社の場所へ社が移ったのち、八百津の人々により神輿が造られ、獅子が舞い、これを祭りとしていました。100年ほどした後、車輿が造られ、町中を引き回すようになりました。これが、現在も行われている、八百津祭りとなります。


参考文献(役場所蔵:大舩大権現由来記、八百津町教育委員会発行:八百津町史、錦織綱場・木曽川筏流送の歴史)

History

Oobune shrine's history is very old.

it was established on the top of the Mt. Gongen in 806~809. This's Heian era of Japan.

And then it transfared the shrine to the today's place in 1394~1427.

The chinese calactor of "舩” means the big ship.

Oobune shrine is located in the mountain. Why It was named as the ship?

The reason is Japanese traditional houses are made by woods. 

Long time ago, the most of the houses were made by woods and those dmand was great.

Yaotsu city was famouse of forestry and had prospered with it.

The cut woods were shipped by the wooden ship along with Kiso reiver.

So the mountain forest was very important for people and they worshiped it with appreciation.

As represent Oobune shrine histoy, the great cedar is growing on the ground of Oobune shrine.